YS BLADES(YSブレード) 開発秘話

——そこにあったのは、日本刀のように研ぎ澄まされたモノづくりに対するふたりの男の熱い思い

株式会社山一ハガネ
製造第二Gr.
GM 石川貴規

山一ハガネ元社員
YS BLADES販売店・六識興業
六車英高

■スケート靴の抱える問題

フィギュアスケート選手の命ともいえるスケート靴。その要となるのがスケートブレードだ。
従来のスケートブレードは、3つのパーツを人の手で溶接して製造されていた。
熟練の職人による溶接でも、人の手で溶接されているため、どうしてもわずかな誤差が生じる。同じメーカーの同じ品番のものでも、品質にばらつきがあった。
また、溶接でつなぎ合わせて作られたブレードは、4回転ジャンプなどの大きな衝撃に耐えきれず、すぐに曲がったり、折れたりしていた。トップレベルの選手では、1ヶ月に数回ブレードを交換することもあるという。
スケート選手は、交換するたびにブレードの誤差に自身の技術で対応せざるを得なかった。
スケート靴を変えるたび、「ならす」という時間も必要だ。
なぜ、人が道具に合わせなければならないのだろうか?
スケート靴は、こんな問題を数十年間も抱えたままだった。

■YS BLADESの開発・研究に至った経緯

2013年2月、一流スケーター・小塚崇彦氏が足型の測定のために山一ハガネに来社した。
小塚さんからスケート靴の抱える問題についての話を聞いた、山一ハガネの社長・寺西は「山一の扱う鋼や金属加工技術なら、もっと良いものができるのでは?」そう思い、一度当社で作らせてもらえないかとご提案。
そこで機械加工のプロフェッショナルである石川と六車に白羽の矢が立ち、開発がスタートした。

■苦労も…

既存のスケートブレードでは3つのパーツを溶接して作られているが、同じように作っても強度が出ないので意味がない。
そこで、山一ハガネが得意とする削り出しで製作することにした。
10㎏の特殊鋼の塊から約270gのブレードを削り出す。
削り出しの一体構造にすることで、溶接部分がなくなり耐久性が増す。
また、4回転ジャンプの衝撃に耐えるために硬さと粘りのある材料も必要だった。
山一ハガネは50種類以上もの特殊鋼を扱っており、さまざまな特徴を持つ複数の材料の中から石川と六車は、まず5種類に絞った。
硬いだけではすぐに折れてしまうし、柔らかいと変形してしまう。
さらに、材料の特性は硬さや粘りなどがそれぞれ異なり、削り方も材料によって工夫が必要だった。
例えるなら、彫刻刀で粘土と木を削る時の差のようなもの。
いくつものパターンを作り、何人もの選手に履いてもらってフィードバックを受け、試行錯誤を繰り返しながら開発を進めた。
時には開発者の石川・六車も自らスケート靴を履いてスケートリンクへ赴き、滑りを試したりもした。
試作品は実に150セットを超える数にも及んだ。

設計と製造方法の確立には9年という長い年月を要したが、石川と六車の『選手のために』という、ひたむきなモノづくりに対する想いがひとつの“究極”にたどり着き、YS BLADESが完成した。
それを支えたのが、山一ハガネが長年培ってきた素材の知見と金属加工技術、そして超一流の設備だった。

しかし、形ができたものの、まだ課題はあった。

メッキがうまくのらない。
特殊鋼のブレードはそのままでは錆びてしまうため、メッキ処理は必須だった。
通常通り、脱脂・酸洗いなどの工程を経ても、なぜかメッキが剝がれてしまう…。
「切削油がいけないのだろうか?」
石川と六車はさまざまな要因を考え、時には数十工程もあるメッキの全工程を協力会社の工場で直接見たりもした。
「何度試してもダメで、目の前が真っ暗になった時もあった」
「ブレードを自分の子どものように思っていたから、どんなに大変でもしっかりとした形で送り出したかった」そう六車は当時のことを話した。
そしてついに、協力会社とともに試行錯誤の末、現在のメッキがかけられるようになった。


■YS BLADESの特長

先述にあるように、従来のブレードでは3つのパーツを溶接して作るため、誤差やばらつきがあった。
しかし、YS BLADESは機械で鋼の塊を削り出して作る“一体構造のブレード”のため、常に高品質で高い強度と軽さを両立している。
これまでは「ブレードが折れるのは選手の技術次第」などと言われたが、もう違う。
2人の男のモノづくりにかける強い情熱と、山一ハガネの持つ高度な技術力で、スケート靴の常識は覆された。


■YS BLADESへの思い

山一ハガネは、特殊鋼を仕入れ、加工や熱処理などを施して販売をする会社だ。
そんな山一ハガネにとってYS BLADESは、設計・加工・販売のすべてを自ら行えるはじめてのことだった。
「“山一ハガネが生み出したもの”という新たな価値を創りたかった。」と石川は言った。
加工部門である石川にとって、普段作っている自動車関連の部品は、実際に使用されている場面を直接目にすることはない。
でも、自ら手掛けたYS BLADESは選手たちが使用している場面を直接見られ、声も聞ける。

ブレードへの石川自身のこだわりは「ない。」そうきっぱり言い切った。
技術者としてのこだわりはなく、すべては選手のために。
石川は「“モノづくり”がしたい。作ったものが人のためになっていることが自分の喜び。六車とふたりだから作り上げることができた。」
そう笑顔で言った。
現在では社を離れ、夢であった珈琲店を営む六車も、今のYS BLADESの活躍を心から喜んでいる。


■YS BLADESが世界に羽ばたいたが?

開発しはじめた当初から、大きな舞台の表彰台を目指していた石川と六車。
有名な選手たちが使用してくれていることに喜びも感じるが、そこに私情はない。
真剣に、仕事として。
履いてくれている選手たちに“良いもの”を作り、届けたい。

「いつか70歳とかになったとき、もう山一ハガネに勤めてなくても、テレビで表彰台に登るYS BLADESが見られるような、そんな後世に残るモノづくりができていれば嬉しい」
「日本の選手だけでなく、海外の選手たちも困っているはずだから、なんとしても届けたい。必ず悩みを解決できるはずだ」と六車は自信を持って言う。
六車が山一ハガネを離れた後も、友の思いを胸に、石川は今も2人の情熱をYS BLADESに注ぎ続けている。
石川のあくなきモノづくりへの挑戦はまだまだ続く———。


六車さんのお店「六識珈琲店」のInstagramはこちら

←こちらの看板も山一ハガネがアルミの削り出しで作成しました!